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「紅白歌合戦」のマイクロホン

依願退職の届けを出し、大阪から東京の実家に戻り、絵かきとして独立するというその社員に、幸之助は、東京に帰ってもすぐ食えるとは限らないから、自立できるまでは東京の支店に嘱託として顔を出せと、例外的な処置をとってくれた。大阪を去る日、幸之助に挨拶ができなかった社員は、東京に戻って1ヵ月もしたころ、改めて大阪に幸之助を訪ねた。ひととおりの挨拶のあと、幸之助が尋ねた。「きみは自分の意志で、自分で依願退職をしたのかい」「はい、そうです」「それじゃあ、きみ、損じゃないか。それならぽくに相談してくれたらよかったのに」そのあとの幸之助の言動に社員はびっくりした。幸之助は、「それならきみをクビにしてやるよ」と言って即座に人事部長を呼んだ。履歴の上で傷がつくというのでなし、社内的な処理ですむことだから、クビにしてやるというのである。

こうして社員は、天下晴れて久ビになり、依願退職から解雇への手続きの変更によって、前に受け取った退職金より多くの差額を手にすることになった。「それが松下さんから私への、思いがけずもありかたい饅別だったのである」と、画家として成功したその社員はのちに回想している。京都東山山麓の真々庵でPHPの活動を行なっていたころのことである。その真々庵に芦屋から通勤していたPHPの若い所員が、あるとき幸之助から帰り道のついでに西宮の自宅へのことづけものを依頼された。自宅に着いて呼び鈴を押すと、「どなたですか」とインターホンで尋ねられ、「真々庵からおつかいにまいりました」「ちょっとお待ちください」お手伝いさんに導かれて玄関に入る。ことづかった荷物を渡して、すぐ失礼するつもりが応接間へ上がれと言われる。そこで、幸之助夫人に迎えられた。

「ご苦労さまでした。確かに受け取りました。お疲れ必ところわざわざ寄ってもらってありがとう」帰りには駄賃までもらい、玄関先までの見送りという、至れり尽くせりのていねいな応対に感激した社員には、さらに翌朝、幸之助からのこんなひと言が待っていた。「きみ、きのうはご苦労さん。うちの奥さんから電話があってな、きみのこと、ええ青年やとほめてたで」マイクロホンの研究開発を担当していたある社員の夢は、NHKの「紅白歌合戦」でナショナルのマイクロホンを使ってもらうことであったが、十年に及ぶ努力が実を結んで、ある年、ついに自分が開発したマイクロホンが採用されることになった。

それでも、ほんとうに使ってもらえるのかどうか、直前まで心配で心配でたまらない。十二月三十一日の午後のリハーサルで、紅白のリボンがマイクロホンに付けられるに及んでようやく確信をもった社員は、そのときになって初めて幸之助の秘書に電話をかけた。「今晩、『紅白歌合戦』にナショナルのマイクロホンが出ますから、ぜひ見てくださいと、そうお伝えください」するとしばらくたって、秘書から電話が入った。「あなたの言われたことを申しあげたところ非常に喜ばれて、『必ず今晩は見るから、私か見ているということを彼に伝えてほしい』と、そうおっしゃっています。あなたの電話番号を調べるのには苦労しましたよ」

昭和三十年代の後半、PHPの研究が真々庵で行なわれていたころのことである。幸之助が長時間、原稿に目を通したり、考えごとを続けて肩がこったとき、数人の若い所員に順番で肩もみの役目がまわってきた。「きみ、すまんな、ちょっと肩がこってな」所員は一所懸命である。ときには汗をかきながら、一心にもみ続ける。しばらくすると、「おおきに、きみ、疲れたやろう。ええ気持ちやった。きみはうまいな、いちばん上手や。きっと子どものころ、ご両親の肩ようもんであげたんやろうな。それでうまくなったんやな」こうほめられると疲れも飛んでしまう。

中国政府の情報統制検閲システム

人権活動家や中国メディアで活躍する敏腕記者、人気ブロガーなど、世界の動向に敏感な人々が多いと言われている。彼らは政府の検閲の及ばないツイッターで自由な言論活動を展開し、多くのフォロワーを抱えている。とくに時事評論家の連岳や前衛ア上アイストの莫未末、フリージャーナリストの安替といったオピニオンリーダーたちの影響力は絶大で、彼らの存在は国内のみならず、国外のユーザーからも注目を集めている。たとえば二〇一〇年二月、前述の前衛アーティスト・斐未未氏は、北京市郊外の創意正陽芸術区で起きた芸術家襲撃事件に抗議するデモを長安街言打い、それを自身のツイッター上に写真付きで中継。国内外のユーザーたちにほぼリアルタイムでデモの現状を伝え続けた。長安街でのデモは一九八九年の天安門事件以来と言われ、いくつもの海外メディアがこのデモの様子を伝えたという。

こうした活動によって、当局から反政府派の危険人物とみなされてきた斐末未氏は二〇一一年四月、ついに北京国際空港で身柄を拘束されてしまった。香港メディアなどによると文末末には脱税や重婚の容疑がかけられているというが、この明らかな別件逮捕には、国内外から強い非難の声が集まった。欧米諸国からは莫氏の即時釈放を求める声明も発表されたが、莫氏の身柄は二〇一一年五月の段階で依然、拘束されたままだ。チュニジアでジャスミン革命が勃発して以降、反政府的な立場の人々に対する弾圧はよりいっそう強まっている。莫氏の拘束も、その一環といえる。政府当局の過剰な反応からは、民衆蜂起に対する極度の警戒心が垣間見える。

一方、ツイッターヘのアクセスが遮断されている中国で台頭しているのが、中国の大手ポータルなどが運営する国産の徴博サービスだ。中でも、大手ポータル「新浪」が運営する「新浪微博」は最も人気が高く、登録ユーザー数は国内最多とも言われている。また、ユーザーの中には女優や俳優、アーティストなどの有名人が多数おり、それぞれ数百万単位のフォロワー数を誇っている。中国のシンクタンク「易観智庫」のマイクロブログ市場に関する報告書によれば、中国のマイクロブログユーザー数は猛烈な勢いで増殖を続けており、二〇一一年には一億四五〇〇万人、二〇コー年には二億四〇〇〇万人にまでユーザー数が増えると予想されている(レコードチャイナ「マイクロブログのユーザー数、今年は7500万人に達する見通し」二〇一〇年一二月一三日)。

中国国内のすべてのウェブサービスがそうであるように、微博も当然ながら当局の検閲対象となっている。だが、凄まじい勢いで投稿され、増殖する微博のつぶやきに対して、当局は管理しきれていないというのが現状のようだ。たとえば、二〇一〇年九月に江西省宜黄県で起きた「宜黄事件」。土地の強制収用に抵抗した一家が県当局に抗議して集団焼身自殺を図り、これを目撃した香港誌『鳳凰週刊』の記者が自身の微博でリアルタイムに詳細を報じたのだ。その後、県当局が「一家の不注意による火災事故」と発表したことから、微博で真実を目にしていた住民たちが猛反発。地元メディアもこの事件を取り上げるほど騒動が拡大し、最後は県書記と県長が更迭されるまでに至ったのである。微博で巻き起こった世論が当局を動かすという事例は、今後も増えていくに違いない。

中国で政府による情報統制が行われていることは、日本でも有名な話だろう。「金盾」とは、その情報統制を可能とする検閲システムのことを指す。ただし、香港とマカオはその対象から除外されている。金盾は、中国国内のネットユーザーが当局にとって都合の悪い情報にアクセスできないようにフィルタリングするファイアーウォール機能を備えている。その容赦のないフィルタリング仕様から、万里の長城(Great Wall)になぞらえて「グレートーファイアウォール」(防火長城)と呼ばれるそうだ。金盾計画の始まりは、中国が電子政府の構築に向けて「金字工程」と称する国家プロジェクトを打ち立てた一九九三年に遡る。金字工程では、金融や貿易、電子マネーから裁判情報に至るまで、二一分野にも及ぶ情報化計画が立案された。金盾は、その中で公安の情報化を目指すプロジェクトとしてスタートした。

イタリアと宜野座

沖縄ではこうした行動を苦笑いしながら見ていた人も少なくなかったが、地元の素朴で熱烈な招致運動は駐日カナダ大使館を感激させ、首相府をも動かして、遂にクレテイェン首相の訪問を実現させてしまった。笑い話か笑い話ではなくなった。サミットで沖縄を訪れたクレティエン首相を城間町長が南風原町まで案内した。車の中でクレティエン首相が城閣町長に聞いた。首相「町長はスポーツをなさるのですか」町長「ええもう、スポーツならなんでも。オールラウンドです」それを聞いてうれしくなった首相は、スケート場に着くと町長に声をかけた。「一緒にプレーしましょう」ところが、城閣町長は、実はスケートシューズを履いたことも氷の上を歩いたこともなかった。

このときが初めて。車の中の会話はジョークだった。太った城閣町長はクレティエン首相に手を取ってもらい、身体を支えられてやっと立ち上がれる有様。こちらは笑いを誘う方の主役だった。これは私か城閣町長本人から直接聞いた話だから間違いない。クレティエン首相は南国のスケートリンクで子どもたちとアイスホッケーに興じて本場のスケーティングを披露、一躍人気者になっていた。イタリアのアマード首相を招いた沖縄本島のほぼ真ん中、那覇北部に位置する人口およそ五千人の宜野座村も南風原町と似たり寄ったり、いや、もっと上だったかもしれない。

「イタリアと宜野座、なにも関係ありません。無関係の関係です。強いていうなら宜野座にはダムがあって水が豊富。森もあります。イタリアのベニスは『水の都』。同じ水の都です。だからイタリアの首相を呼ぶことにしました」宜野座村も熱心に招致運動を繰り広げて、アマード首相の村訪問を実現させた。アマート首相は「日本のこのような小さな村にイタリアを愛する友人がこんなにいるとは知らなかった」といって感激していた。実は宜野座村にはこのほかにもとんでもない計画があった。同村は沖縄本島の真ん中にあることから「てんぷす(沖縄の方言でへその意)の村」を標榜している。

そこで村当局がサミットと絡めて考え出したのが各国首脳のへそを形どりして展示する案たった。映画俳優など有名人の手形が並ぶ米国のハリウッドにならって各国首脳にへそのレプリカを提供してもらい、へそ博物館を建設して目玉にしようという奇想天外な計画だ。村内外から宜野座村は一体なにを考えているのか、という声が出され、私も村の考えに驚いた。しかし、浦崎村長は大真面目で、「日本人に比べると外国の人たちはユーモアがある。各国首脳は分かってくれるに違いない」とひるむことがなかった。おおらかさは沖縄県民の特性であるが、この計画はおおらかさ、奇想天外も度が過ぎていて、さすがにだれからも相手にされず、雲散霧消してしまった。

二〇〇一年春の甲子園センバツで二十一世紀枠に選ばれて初出場、ペスト8まで勝ち進み、同年夏の大会には実力で出場、一回戦で優勝候補の仙台育英高を破って全国的に話題になった宜野座高校は、この村にある小さな県立高校である。イギリスのフレア首相は北谷町、フランスの政府関係者は名護市、ドイツのシュレーダー首相は那覇からはるかに離れた宮古島を訪れ、交流を深めた。いずれも十九世紀中ごろ、当時、沖縄(琉球)の近海で難破したヨーロッパの商船の乗組員を救助したり、艦隊が寄航中に死亡した乗員を手厚く祀った墓や碑が現地にあるなどの歴史的な関係から地元が招致したものだ。

農業者の独占利益による国民への影響

日本の成長のスピードはさておき、アジアの近隣国の経済成長のスピードは、日本よりも高いだろう。中国、東南アジア、インドなど、成長著しいアジア諸国は、人口が多いこともあって、巨人な食料輸入国に変化していくはずである。かつて日本かたどってきた道である。特に中国などは人]に比べて農地が極端に少ない国である。世界最大の食料輸入国になるのは時間の問題である。日本の農業の輸出潜在力を考えるうえでは、こうした今後の変化を考慮に入れなくてはいけない。日本の急速な工業成長が農業の競争力を奪ったように、アジア近隣国の急速な成長は日本の農業の競争力を引き出すのだ。

ノーベル経済学賞を受賞した英国の経済学者、J・R・ヒックス教授は次のような有名な言葉を残している。「独占利益のもっともよいところは平和な生活である」というものだ。独占的な地位が保証されていれば競争がないので、倒産もなければリストラや賃金カットもないのだ。競争にさらされればそうしたすべての煩わしいものに巻き込まれることになる。なぜ、今の平和な生活を捨てて、競争などという煩わしいものに巻き込まれなくてはいけないのだ。独占的な地位を保証されている者は、皆そう考える。

自由貿易協定に反対の声を上げる農業昔はその典型である。「これまで手厚い貿易制限と保護に守られてきたのに、なぜ国際競争の荒波にさらされなければいけないのだ。自分たちの生活を乱してほしくない」。私には農業者の声はこのように聞こえる。これは独占的な地位を満喫してきた、かつての国鉄(日本国有鉄道・電電公社(日本電信電話公社)と同じ論理である。独占の安泰の中にある人たちはそれでよいかもしれないが、そんな状態を放置しておけば、その社会は衰退してしまう。日本の農業市場を日本の農業者に独占させることで、日本の食料や農業の未来が本当にあるのだろうか。独占の地位を奪われて競争にさらされると目つきが変わってくる。最近の成田空港の動きは、この観点から興味深い。

成田空港は長いこと、佇都圏の国際航空路線を独占してきた。そうした独占の上にあぐらをかいて、空港のサービスの改善の努力を怠ってきたように見える。40社以上の航空会社が成田空港への路線を開設できずに待ち状態であるのに、空港の発着枠を増やすことができなかった。深夜・?朝の発着はできないという大原則の中で、非常に使いにくい時間帯の発着時間設定であった。こうした成田空港の鈍い動きは、羽田空港が国際線に参人することで一変してしまった。長い間の懸案であった発着回数の増加で地元との合意に動き始めた。羽田空港との競争を有利にするために、格安航空路線専用のターミナルを開設する検討を始めた。都心部への鉄道アクセスも大幅に短縮されようとしている。

成田空港や千葉県の関係者と話をすると、羽田空港の弱点を鋭く指摘される。ライバルの弱点をよく知っている。それだけ競争相手である羽田空港を徹底的に調べ上げ、競争で優位に立とうとする姿勢がうかがわれる。首都圏の二つの空港の競争が一般国民にとっていかに大きな利益をもたらすかは今さら説明するまでもないだろう。独占の弊害は、すべて一般国民に押し付けられる。競争なしには、変化と進歩は生まれないのだ。変化と進歩は独占のインサイダーが享受している「平和と安定」を犠牲にして行われるものである。

中朝の奇妙な二人三脚

会議の一週間後、ブッシュ大統領が「北朝鮮が核武装開発を放棄するなら、食糧やエネルギーを支援する大胆な措置の再開を検討する」と言及するなど、米国にも変化の兆しが表れた。そして、同年二月二七日、世界最大の天然ガス会社、ロシア国営「ガスプロム」のアレクセイ・ミラー社長が、前日に就任したばかりの盧武鉉大統領を青瓦台に表敬訪問した。ガスプロムは、石油・天然ガスの国営化を進めるプーチン大統領がもっとも重視する国策企業であり、翌年にサハリンーを構成するロスネフチと介併する。盧武鉉政権がもっとも積極的だったコーラス・ライン計画とは、次のようなものだった。北朝鮮のすべての核関連施設および核物質の廃棄、ミサイル・生物化学兵器などの大量破壊兵器に関する包括的な妥協により、多国籍企業の大規模投資を開始して、米朝不可侵条約を締結させる。

次に、核爆弾製造の可能性を残すKEDOによる軽水炉建設は白紙に戻し、約一〇基の天然ガス動力の火力発電所を北朝鮮各地に建設。サハリンから極東、北朝鮮を通り韓国へとつながるパイプラインを建設して、北朝鮮には長期的なパイプライン通過収入を提供すると同時に、エネルギー安保に対する脅威を解消させる、というものだ。サハリン天然ガスのバイヤーとなるのは、主に日本、中国、韓国の三力国だが、日本へのパイプライン敷設は現実的でない。中国はこの時点で、エクソンモービルの希望売却価格の半分しか払えなかったので論外だった。だが、中断されたKEDOの建設費を天然ガス支援に切り替えれば、予算問題は跡形もなく消え去る。KEDOは北朝鮮の軽水炉建設に五〇億ドルという予算を用意していたが、この額はサハリンから朝鮮半島を横断する全長二〇〇キロのパイプライン建設費とほぼ同額。構想倒れのサハリンが息を吹き返す可能性もあった。

しかし、構想ばかりで、遅々として進まぬプロジェクトに、関係国はしだいに苛立ちを見せ始践だ。「検証可能で再開不可能、完全な核廃棄」を関係改善の条件にしていたブッシュ政権に対して、北朝鮮が完全に門戸を開くとは思えなかったからだ。朝鮮半島縦断パイプライン構想には、安全保障上の懸念が払拭しきれないだけでなく、経済理念の通じない北朝鮮の事業参加が経営の信頼度を低め、金融費用の増加も避けられない。半島情勢が劇的に変化しない限り、実現の見込みがない構想である。それでもプーチン大統領と盧武鉉大統領は、構想実現を諦めようとしていない。○五年一一月に釜山で開催されたAPECに参加したプーチン大統領は、盧武鉉大統領との会談後の共同記者会見で、北側鮮への核放棄の見返りとして、六力国協議の枠内で天然ガスを供給する用意があることを。小唆しか。

サハリンをめぐる環境も変化している。エクソンモービルが、サハリンの産出ガスを中国に供給する契約に向けた覚書を、○六年一〇月に中国石油天然ガス(CNPC)と交わしたと報じられた(『朝日新聞』○六年一〇月二二日付)。○七年二月に訪日したロシアのフリステンコ産業エネルギー相と会談した麻生太郎外相は、サハリンーについて、「液化天然ガスの輸入に関心がある」と表明したが、ロシアから確たる返事を得ることはできなかった。日本の国益に関わるだけでなく、六力国協議参加国すべての利害に直結する問題だが、一つだけはっきりしているのは、テロ支援国家にエネルギーの蛇口を握らせることはないということだ。朝鮮半島縦断パイプラインが実現するとしても、それは金正日政権が崩壊した後のことだろう。

いつ崩壊しても不思議ではない北朝鮮が、ずるずると生き延びている状況が一〇年近くも続いている。この時代錯誤の。スターリン主義国家には、破綻した経済を再建する能力もなければ、その意志もないようだ。沈没寸前の船から船員が海に向かって飛び出すように、国を見限らだ住民たちの脱出が跡を絶たずにいる。にもかかわらず、北朝鮮という難破船はなかなか沈没しようとしない。船の中からではなく、船の外で浸水を防ごうとしている者たちがいるからではないか。救助活動にもっとも熱心なのは、言うまでもなく中国だ。その中国から北朝鮮を眺めると、地続きになった一三〇〇キロの国境の先に、二二〇〇万人もの難民予備軍が控えている。

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